京つけもの もづめ

京つけもの もづめのこだわり

漬物の歴史

古くから日本人に食されている漬物。漬物の歴史を辿っていくと、漬物が日本の欠かせない食品として発達するまでに多くの過程を経ていることが分かります。

塩を用いた貯蔵の始まり

原始時代に、人は海水から塩を取ることを覚えます。また、人間は食べ物の保存に塩が重要な役割を果たすことを知っていたため、遥か昔から塩を野菜や肉類の貯蔵に使用していたと考えられています。大和時代に、すでに塩漬けで食品の保存が行われていたことは、古い記録からも判明しています。

漬物が副食として食されるまで

奈良時代から平安時代にかけては、現在ほど広くは普及していませんでした。奈良時代には、主に寺院の僧侶の食用として、茄子や瓜などの野菜の他に、モモなどの果物も塩漬けされていました。平安時代になると、重要な副食として扱われるようになり、春には、ワラビ、フキ、瓜などを塩漬けに、秋には茄子、柿、梨などを塩や味噌、もろみ、酒粕などに漬けていたことが分かっています。

漬物が盛んに食されるようになった時代

鎌倉~室町時代は、茶の湯や聞香(もんこう)の発達に伴い、漬物が盛んに食されるようになり、自らの味覚や嗅覚で味や香りを感じ取るのではなく、心でその場の雰囲気や香りを楽しむものです。これは、日本人が味覚や嗅覚が繊細なことが大きく関係していると言えます。漬物には、味覚や嗅覚を一新する効果があったことから、香の物として茶の湯や聞香に取り入れられたのです。

漬物の発展

江戸時代になると、野菜の種類が増え、全国から多くの商人が江戸に集まりだします。その結果、漬物の作り方が工夫されるようになりました。これまでは貯蔵を目的として漬けられてきましたが、短期間漬けて食べる当座漬けなどが研究されるようになりました。

糠漬けの出現は、家庭の漬物作りに大きな影響を与えます。現在のような飽食とは言えない時代において、繰り返し使える糠床の存在は非常に大きかったのです。明治時代になると、東京などの都市部近郊の農家では、沢庵漬けや奈良漬けが副業とされます。大正、昭和時代になると、野菜を中心とした食材を漬けることを本業とする漬物製造業へと発展していきました。

漬物の神様

漬物祖神として有名な名古屋の萱津神社には、漬物にまつわる伝説が残されています。昔、村人たちは豊かな自然の恵みに感謝して、大地から採れる野の初物、海から採れる藻塩を初穂として萱津神社にお供えしていました。ただ、お供え物は時間が経つとそのうち腐ってしまいます。せっかくのお供え物が腐ってしまうことを嘆いたある村人が、カメの中に供え物を入れて供えてみると、自然発酵によって程良い塩漬けになりました。自然発酵によるものとは知らない村人たちは、時間が経っても変わらないその不思議な味を神様からの贈り物として尊びました。

萱津神社ではこの故事に従って、毎年8月21日を香の物祭として祝い、漬物業界では同日を漬物の日に定め、広く発信しています。

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